暴動の記憶から福祉と観光の街へ:消えゆく東京・山谷の現在地
「ドヤ」とは宿(ヤド)の逆さ言葉で、文字通り粗末な寝床を意味した。しかし、法律上の区分である「簡易宿所営業」の看板を掲げる建物の内部は、2000年代以降のインバウンドブームと社会情勢の変化を経て二極化を遂げている。一泊数千円で清潔な個室を提供するバックパッカー向けホステルへの転換か、あるいは生活保護を受給する単身高齢者を専門に受け入れる居住型介護施設への改装だ。
毎朝路上で職を求める男たちが群がった「立ちんぼ」の光景は完全に姿を消した。代わって路地を行き交うのは、デイサービスの送迎車と訪問看護師たちである。多くの簡易宿泊所が行政の社会福祉事業と密接に連携し、身寄りのない元労働者たちの「終の棲家」として機能している。かつて労働力を供給した男たちがそのまま街で年を重ね、手厚い福祉ケアを受けながら余生を過ごす。山谷はいまや、超高齢社会・日本の最前線を行く福祉の実験場へと変貌を遂げた。