高句麗・百済・新羅の覇権争い!英雄たちの真実と最新研究の衝撃
軍事力で圧倒した高句麗に対し、百済は洗練された文化力と卓越した航海技術を武器に東アジア古代史へ深い足跡を刻んだ。漢江流域から現在の公州、扶余へと首都を移しながらも、中国南朝の各王朝や日本のヤマト王権と強固なパイプを結び、仏教や儒教、土木技術、織物技術の先進ハブとして機能した。
飛鳥文化の形成に百済からの渡来人が多大な影響を与えたことはよく知られているが、近年の水中考古学の進展により、百済の貿易船が東シナ海を縦横無尽に往来していた実態がより具体的に解明されつつある。軍事的には常に高句麗や新羅の圧迫に晒されながらも、国際的な包囲網を築くことで自国の存続を図り続けた百済の外交センスは、現代の地政学においても示唆に富む。