理不尽な現実を言葉で射抜く翻訳家・村井理子が紡ぐ家族の真実
米国の政治情勢が地殻変動を起こすたび、常に参照され続ける名著がある。J・D・ヴァンスが過酷なラストベルトの現実と自らの半生を綴った『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(CCCメディアハウス)だ。のちにNetflixで映画化され、世界的な議論を巻き起こしたこの原作を、熱量を寸分も損なわずに日本語へと移し替えた立役者こそが村井理子だった。
貧困、薬物依存、崩壊する家庭のなかで喘ぐ白人労働者階級の生々しい叫び。これを単なる遠い異国のルポルタージュとしてではなく、読者の皮膚感覚に届く重みとして定着させる作業は並大抵ではない。出版翻訳業界において、彼女の訳文が高く評価される理由は、原文の文脈をただ追うのではなく、そこに生きる人間の息遣いまでをもすくい上げる翻訳技術の凄みにある。
J・D・ヴァンスの歩みがどれほど世界を揺るがそうとも、彼女が訳出したテキストは、冷徹な社会分析と痛切な人間ドラマの境界線を鮮烈に保ち続けている。