鹿鳴館スタイルの真相!ドレスと夜会巻きに秘めた明治外交の光と影
Q1:鹿鳴館で着用されたドレスはどこで作られていたのですか?
A1:初期は海外からの輸入や外交官夫人による手配が中心でしたが、次第に国内の仕立職人が技術を習得し、日本国内でも製作されるようになりました。京都の西陣織など、日本の最高級織物を用いて仕立てられた和洋折衷の特注ドレスも存在し、工芸的にも極めて高い評価を受けています。
Q2:鹿鳴館に参加できたのはどのような身分の人々でしたか?
A2:基本的には皇族、華族、政府高官、各国の外交官やその家族など、ごく一部の上流階級に限られていました。一般庶民にとって鹿鳴館は新聞や錦絵(浮世絵)を通じて眺める、遠い別世界のような存在でした。
Q3:鹿鳴館の建物は現在どこかに残っていますか?
A3:日比谷にあった鹿鳴館の建物は1940年に解体されたため、建物自体は現存していません。しかし、正門の門扉が東京国立博物館に移設・保存されているほか、階段の手すりなどの一部部材や当時の舞踏会を記録した写真・衣装資料が各地の博物館に所蔵されています。