美少年タジオの呪縛と光|ビョルン・アンドレセンの壮絶半生と現在
スウェーデンのストックホルムに生まれたビョルン・アンドレセンの運命が激変したのは、わずか15歳の時でした。ヨーロッパ中から数百人もの少年を集めて行われた大規模なオーディションで、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の目に留まったことがすべての発端です。ヴィスコンティはトーマス・マンの原作小説に描かれた「絶対的な美の化身」であるタジオ役として彼を選出しました。
1971年に公開された映画『ベニスに死す』は世界的な大ヒットを記録し、カンヌ国際映画祭の記者会見でヴィスコンティ監督は彼を「世界で一番美しい少年」と世界に向けて宣言しました。しかし、この言葉こそが、その後のアンドレセンの人生を縛り付ける重い呪縛となったのです。演技経験の乏しい10代の少年は、自らの意思とは無関係に「美の象徴」として世界中から性的・商業的な視線に晒されることになりました。
カンヌの祝宴では大人のゲイバーへ連れ回され、奇異と欲望の視線に晒されるなど、守られるべき未成年としての尊厳は軽視されました。アンドレセン本人は後に、ヴィスコンティ監督をはじめとする周囲の大人たちから「まるで珍しいコウモリのように扱われた」と振り返っており、この映画への出演がその後の人生に深い精神的傷跡を残すことになったのです。