盆踊り禁止令の歴史と真相|明治の弾圧理由から令和の無音盆踊りまで
政府の強権的な禁止令に対し、民衆もただ従順に従ったわけではありません。警察の目が届かない山間部や神社の奥深くで密かに踊り続けたり、名目を「雨乞い」や「忠魂祭」と偽って開催したりと、各地で巧みな抵抗が続けられました。
やがて大正デモクラシー期に入ると、民俗学者の柳田國男らによって民俗芸能の価値が見直され始めます。失われつつあった郷土の伝統を保存しようという気運が高まり、地域の青年団や保存会が中心となって盆踊りの再評価が進みました。
さらに昭和初期には、レコード産業の発展とともに「東京音頭」(1933年)などの新作音頭が大ヒットを記録します。かつての土着的な性的要素や乱痴気騒ぎが漂白され、「健全な地域コミュニティのレクリエーション」として再定義されたことで、盆踊りは全国的な国民的行事として見事な復活を遂げました。