『仁義なき戦い』モデル美能組の実像|広島抗争の歴史と解散の裏側
戦後の広島裏面史は、大きく三度にわたる抗争に分類されます。その発端となった「第一次広島抗争(呉抗争)」において、美能組はまさに渦中の当事者でした。
美能幸三は当初、山村辰雄を実の親のように信じ、山村組の尖兵として体を張って敵対勢力を排除してきました。しかし、山村辰雄は極めて老獪な策士でした。自らの手を汚さず、若い組員たちの猜疑心を煽っては同士討ちをさせ、邪魔になった者を警察に売る冷酷な計算高さを持っていたのです。
山村の背信行為に気づいた美能組は、次第に山村組と鋭く対立。呉の街路では白昼の銃撃戦や要人暗殺が日常茶飯事となり、大西政寛や樋上実といった凄腕の幹部たちを巻き込みながら、報復が報復を呼ぶ泥沼の抗争へ突入しました。かつて兄弟盃を交わした者同士が互いの命を狙い合う狂気の連鎖は、美能幸三の心に深い不信と絶望を植え付けることになります。