日本最古の貨幣は和同開珎ではない?富本銭が暴く国家誕生の謎
日本古代貨幣史において、これほど専門家の見解を真っ二つに割ったテーマは他にない。争点は極めてシンプルだ。「これは商取引に使われた本物の金(かね)なのか、それともまじないの護符なのか」。
否定派(まじない説)が論拠としたのは、銭文に刻まれた「七星文」の存在である。北斗七星や道教思想を色濃く反映したこの文様は、中国の厭勝銭(厄除けや建物の基礎を清める儀礼用メダル)に酷似している。さらに、当時の日本社会に市場経済が十分に定着していなかった点も指摘された。日常の買い物に使うには銅銭の価値が高すぎ、農民が米や布で物々交換を行っていた時代に、小額決済用の貨幣など機能し得ないという主張だ。
一方で肯定派(流通銭説)は、出土した数千点にも及ぶ破片の分布状況と工房の規模を盾に反論を展開した。日本銀行金融研究所 貨幣博物館に所蔵・展示されている歴代の古銭資料や技術的変遷を見ても、これほど大規模な鋳造施設で、厳格な規格のもと大量生産された金属片を単なる祭祀具と片付けるには無理がある。重量や合金比率の均一性は、明らかに交換価値の担保を目指した設計思想を示していた。
さらに議論を複雑にしたのが、文字を持たない銀の塊である「無文銀銭」の存在だ。飛鳥の貴族社会ではすでに重量基準の銀が富の保蔵や贈答に使われていた。国家がそれらを駆逐し、銅という素材に人為的な価値を付与しようとした実験、それこそがこの青銅貨の正体ではないかという見方が急速に説得力を持ち始めた。