三菱創業の怪物・岩崎弥太郎!龍馬との蜜月と海運を呑んだ冷徹戦略
明治政府の重鎮・大久保利通らとのパイプを強固にし、政商としての地位を固めた弥太郎は、日本の海運業を掌握すべく怒涛の攻勢を仕掛ける。その中核となったのが、1875年に誕生した郵便汽船三菱会社である。
台湾出兵や西南戦争において、政府の軍事輸送を一手に引き受けた三菱は、莫大な運賃収入と政府からの手厚い保護を獲得した。だが、弥太郎の真骨頂はここからの「競合殲滅戦」にある。当時、上海航路などを支配していた米国のパシフィック・メール社や英国のP&O社に対し、弥太郎は徹底的な値下げ競争を挑んだ。運賃を半額以下に叩き売り、赤字を垂れ流しながらも相手が撤退するまで兵糧攻めを続ける。
「商売は戦争である」。弥太郎にとって、それは比喩ではなかった。外国船を駆逐し、国内のライバル企業をも次々と屈服させ、日本の海上輸送を完全に独占する。その姿は、周囲から「国賊」「独占の悪魔」と激しい非難を浴びたが、弥太郎は意に介さなかった。冷徹な謀略の果てに、日本という島国の動脈は完全に一人の男の掌中に収まった。