世界が熱狂するシティポップの祖・村井邦彦が語る音楽革命の深層
1977年、東京・芝浦。運河沿いの倉庫街に、当時の日本の常識を根底から覆すレコーディングスタジオが誕生した。アルファレコードの自社スタジオ「スタジオA」だ。
「海外のレコードと日本のレコードを聴き比べたとき、圧倒的な音の立体感の違いに悔しさがこみ上げた」。村井は当時の胸中をそう振り返る。当時の日本のスタジオは音をただ綺麗に記録する場所であり、ミュージシャンがインスピレーションを爆発させる空間設計にはなっていなかった。彼は巨額の私財を投じ、吸音材の選定から電源周り、カスタムメイドのミキシングコンソールに至るまで、徹底して世界基準を追求した。
スタジオに足を踏み入れたミュージシャンたちは、スピーカーから溢れ出るファットで乾いたドラムの鳴りと、耳元で囁くようなヴォーカルの生々しさに息を呑んだ。この妥協なき音響環境こそが、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の世界制覇や、洗練を極めた名盤群を生み出す揺るぎない土台となったのである。