手塚治虫の死因と最期の言葉の真相|享年60歳、病床で遺した伝説
死の直前まで描き続けられたことで、手塚の晩年には複数の「未完の名作」が遺されることとなりました。ゲーテの『ファウスト』をベースに生命の本質を問うた『ネオ・ファウスト』、ベートーヴェンの生涯を描く『ルードウィヒ・B』、そして現代社会の闇をえぐる『グリンゴ』の3作は、いずれも絶筆となり未完のまま連載を終えています。
特に『ネオ・ファウスト』の欄外には、亡くなる直前までプロットや修正の指示が書き込まれていました。亡くなる約2週間前、1989年1月25日付の手塚の日記には「今日、面白いアイデアを思いついた!」という記述が残されており、肉体が滅びる瞬間までクリエイターとしての脳細胞が活動し続けていたことを証明しています。
【手塚治虫・生涯の略年表】
- 1928年(昭和3年):大阪府豊能郡(現・豊中市)に誕生。
- 1946年(昭和21年):『マアチャンの日記帳』で漫画家デビュー。
- 1951年(昭和26年):大阪大学附属医学専門部を卒業。
- 1952年(昭和27年):『鉄腕アトム』の連載を開始。国民的人気を博す。
- 1961年(昭和36年):虫プロダクションを設立。奈良県立医科大学にて医学博士号を取得。
- 1970年代:『ブラック・ジャック』『火の鳥』『三つ目がとおる』など名作を次々と発表。
- 1988年(昭和63年):3月に腹痛で半蔵門病院に入院、胃がんの手術を受ける。
- 1989年(平成元年):2月9日、胃がんのため逝去(享年60歳)。