わずか一文字の怪!「長」苗字が語る能登名門の血統と家紋の真相
「長」という苗字を語る上で、日本中世史にその名を轟かせた「能登長氏(のとちょうし)」の存在を外すことはできない。彼らは平安時代末期から能登国(現在の石川県能登地方)に根を張り、室町時代には守護・畠山氏の重臣として権勢を誇った名門武士団である。
天正5年(1577年)、越後の雄・上杉謙信が能登七尾城を包囲した際、長一族は城内での裏切りによって一族の主力がほぼ皆殺しにされるという壊滅的悲劇に見舞われた。だが、この地獄から一人の若武者が生き残る。それこそが、知略と執念の武将・長連龍(ちょう つらたつ)である。
城を脱出した連龍は織田信長へ救援を求め、柴田勝家や前田利家の軍勢とともに能登へ反攻。一族を謀殺した仇敵をことごとく討ち果たし、主家が滅亡した後の能登で自力による家名再興を果たした。その後、加賀藩主となった前田家の筆頭年寄(加賀八家)として迎え入れられ、大名並みの3万3,000石余りを領する破格の厚遇を勝ち取る。この長連龍の血統こそが、北陸地方に「長(ちょう)」姓が誇り高く受け継がれている最大の根拠である。