竹島はどこの領土か?米機密文書と国際法が暴く領有権の深層
サンフランシスコ平和条約が発効するわずか3カ月前、1952年1月18日に韓国の初代大統領である李承晩が突如として宣言したのが「海洋主権宣言」、すなわち李承晩ラインである。公海上に一方的に引かれたこの境界線は、国際法上いかなる正当性も認められない暴挙であった。
李承晩ラインの内側に竹島を取り込んだ韓国側は、境界を越えたとして多数の日本漁船を銃撃・拿捕した。拿捕された漁船は300隻を超え、約4,000人におよぶ日本人漁民が過酷な抑留生活を余儀なくされた。その過程で死傷者も発生し、山陰や九州沿岸の漁業コミュニティは壊滅的な打撃を受けた。
1954年には韓国警備隊の常駐が開始され、宿舎や灯台、ヘリポートなどの施設が次々と建設された。日本政府がこれを「不法占拠」と呼び、現在に至るまで厳重な抗議を繰り返している背景には、こうした力による現状変更と国民が被った生々しい被害の記憶が存在する。