箸墓古墳は誰の墓?卑弥呼説の真偽と最新年代測定が明かした真相
現在、箸墓古墳の公式な被葬者として管理を行っているのは宮内庁です。宮内庁による箸墓古墳の宮内庁治定は「大市墓(おおいちのはか)」とされ、被葬者は第7代孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命と定められています。幕末から明治初期にかけての陵墓治定事業のなかで、古記録の記述をもとに指定されました。
この治定の根拠となったのが『日本書紀』に記された箸墓古墳の由来です。崇神天皇条の記録によると、百襲姫は三輪山の大物主神(オオモノヌシ)の妻となりましたが、神が正体を現した小さな蛇の姿に驚いて叫んだため、恥じた神は三輪山へ帰ってしまいます。後悔した百襲姫がドスンと腰をついた際、箸(はし)が陰部に突き刺さって絶命したという衝撃的な逸話が残されており、これが「箸墓」という名称の語源と伝えられています。
さらに『日本書紀』には「昼は人が造り、夜は神が造った。大坂山の石を手渡しで運んで築いた」という大規模な突貫工事の様子が生々しく描かれています。しかし、百襲姫の実在性や神話的エピソードは多分に伝承の域を出ず、歴史学・考古学的な見地からは「神話の人物をそのまま埋葬者と見なすことはできない」とする見解が一般的です。