鞆の浦ロケ地から城の裏側まで!地元取材が明かす福山の深層案内
幕末の風雲児・坂本龍馬もまた、この街と浅からぬ縁で結ばれている。1867年、龍馬率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突して沈没した「いろは丸事件」。鞆の浦はその後の激しい賠償交渉の舞台となった。町内には、龍馬が身を潜めた「桝屋清右衛門宅」や、談判が行われた「対潮楼」が今も大切に保存されている。
対潮楼の座敷に座り、柱と梁を額縁に見立てて弁天島や仙酔島を望む景色は、朝鮮通信使の高官が「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地)」と絶賛したことでも名高い。歴史の激動の舞台でありながら、ここから眺める海の表情はどこまでも穏やかだ。過去の歴史を単なる記録として終わらせず、町衆の手で語り継いできた誇りが、この景観の端々に宿っている。