大奥史上最大の醜聞「絵島生島事件」真相に迫る!愛か権力闘争か
事件の発端は、正徳4年1月12日。大奥の年寄として絶大な権勢を誇っていた絵島(江島)が、前将軍・徳川家宣の墓所である芝居町近くの増上寺へ代参に赴いたことだった。参拝の帰路、絵島は木挽町にあった名門芝居小屋の山村座に立ち寄り、当代きっての色男として知られた歌舞伎役者・生島新五郎の舞台を観覧する。
狂乱の宴席、長引いた歓談、そして閉門時刻の超過。大奥の厳格な門限に遅れたという些細な違反は、瞬く間に江戸城中を揺るがす大罪へとすり替えられた。江戸幕府は即座に特別調査に乗り出し、絵島と生島新五郎の間に不義密通があったとして徹底的な追及を開始する。この摘発は歌舞伎興行界にも壊滅的な打撃を与え、山村座は即座に取り潰しとなり、江戸の芝居町全体が厳しい監視下に置かれることとなった。