加藤高明は何をした?普選法と治安維持法の同時制定と死因の真相に迫る
政治家・加藤高明を語る上で欠かせない要素が、巨大財閥である三菱財閥との関係性、そして第一次世界大戦期に主導した外交政策です。
東京大学を卒業後、三菱に入社した若き日の加藤は、創業者・岩崎弥太郎に見込まれ、弥太郎の長女である岩崎春路(はるじ)と結婚しました。この強力な閨閥により、加藤は三菱グループから莫大な資金的・政治的バックアップを受けることになります。
政界進出後、加藤は憲政会の党勢拡大を進めますが、ライバル政党である立憲政友会(三井財閥寄り)からは「加藤は三菱の番頭に過ぎない」「三菱の利益のために政治を動かしている」と激しいネガティブキャンペーンを浴びせられることも日常茶飯事でした。しかし、この潤沢な財閥マネーが加藤の政界での揺るぎない足場を築いたことも紛れもない事実です。
一方、外交面において今なお国際的な議論の的となるのが、第2次大隈重信内閣の外務大臣時代(1915年)に主導した「対華21カ条要求」です。
第一次世界大戦に乗じ、中国(袁世凱政権)に対して山東省の権益継承や南満州・東部内蒙古における権益延長を迫ったこの外交措置は、のちの中国国内における激しい排日・反日運動の火種となりました。英米との協調を重んじる現実派でありながら、時として強硬な国益優先外交を断行した二面性こそ、加藤高明という政治家の複雑な輪郭を物語っています。