焦土化を防いだ奇跡の決断!江戸無血開城に隠された裏交渉の全貌
慶応4年1月、鳥羽・伏見の戦いで敗れた徳川慶喜は、大坂城を脱出して海路で江戸へ退却した。朝敵として追討令を受けた徳川慶喜に対し、東征軍として進軍する明治新政府軍の勢いは凄まじく、東海道・東山道・北陸道から江戸へと怒涛の進撃を開始する。
新政府軍の実質的な総指揮官だった西郷隆盛が定めた江戸総攻撃の期日は、3月15日。もし攻撃が実行されれば、当時の世界有数の大都市であった江戸は紅蓮の炎に包まれ、無数の庶民が犠牲になることは明白だった。江戸幕府崩壊の危機において、徹底抗戦を叫ぶ幕臣たちと、朝廷への恭順を貫く徳川慶喜の狭間で、首都壊滅のカウントダウンが進んでいた。