米なき極寒の地でなぜ大名に?松前藩の蝦夷地支配と激動史の全貌
江戸時代の大名といえば「加賀百万石」や「尾張六十一万石」といったように、領地から収穫される米の量を表す石高によって序列が決まるのが通例でした。ところが、松前藩には公式な石高が一切存在しない「無高(むだか)」の大名でした。
当時の気候と農業技術水準では、寒冷地である蝦夷地での本格的な水稲栽培は不可能に近かったのが実情です。米が取れなければ年貢を徴収することもできず、通常の幕藩体制のロジックでは大名として成立しません。しかし、幕府は松前藩を特別扱いし、1719年には格式として「一万石格」の大名に列格させました。
米が育たない土地で大名権力を支えた決定的な原動力こそ、北の海や大地がもたらす豊富な海産物・特産品と、それらを生み出すアイヌ民族との独占交易でした。松前藩は領主権の正当性を「土地と農民の支配」ではなく「北方交易の独占権」に置くという、日本史上極めて特異な統治体制を確立したのです。