オードリー・ヘプバーン晩年の真実|愛とユニセフに捧げた美しき軌跡
精力的な人道支援を続けていたオードリーを過酷な運命が襲います。1992年秋、飢餓と内戦に苦しむソマリアへの過酷な視察ツアーの最中、彼女は激しい腹痛に襲われました。帰国後、アメリカ・ロサンゼルスの病院で受けた精密検査の結果、判明した死因となる病名は虫垂癌(盲腸癌 / 腹膜偽粘液腫)でした。発見された時点ですでに癌は腹腔全体へと転移しており、手の施しようがない末期の状態だったのです。
過酷な手術を経た後、オードリーは残された時間をスイスの愛する自宅で過ごすことを強く希望しました。商業旅客機に乗ることができないほど衰弱していた彼女のために、生涯の友人であったファッションデザイナーのユベール・ド・ジバンシィがプライベートジェットを手配し、機内を一面の生花で満たしてスイスへと送り届けたエピソードは広く知られています。
1992年のクリスマス、ラ・ペジーブルで家族と最後の穏やかな時を過ごしたオードリーは、1993年1月20日、愛する家族とロバート・ウォルダースに見守られながら63歳の若さで永眠しました。息を引き取る直前、彼女が家族に遺した言葉は「思い残すことは何もないわ。ただ、なぜ子どもたちがこれほど苦しまなければならないのか、それだけが理解できないの」という、最期まで世界の弱者に寄り添う切痛な想いでした。