三菱創業者・岩崎弥太郎の生涯!龍馬・渋沢との激闘と成り上がりの真相
共同運輸会社との泥沼の海運戦争が頂点に達していた1885年(明治18年)2月7日、岩崎弥太郎は突如として世を去りました。死因は「胃がん」。過酷な事業拡大による心労と不摂生が祟り、満50歳という若さでの無念の急逝でした。
弥太郎の死後、泥沼の消耗戦を収拾したのは、実弟で三菱の2代目総帥となった岩崎弥之助です。弥之助は共同運輸との合併を受け入れ「日本郵船」を誕生させるとともに、丸の内の広大な陸軍用地を買い取ってオフィス街の開発に着手。三菱を海運会社から総合財閥へと脱皮させました。
岩崎家の血脈は、明治・大正・昭和の日本の中枢へと広がっていきます。弥太郎の長男・岩崎久弥は三菱第3代総帥として東洋文庫の創設など文化事業にも貢献。さらに弥太郎の娘たちは、第24代内閣総理大臣の加藤高明や、第44代内閣総理大臣の幣原喜重郎といった国家指導者に嫁ぎました。一介の地下浪人から始まった家系は、日本の政治と経済を根底から動かす華麗なる名門一族へと変貌を遂げたのです。