時代劇の悪徳商人「越中屋」の真相!名門に秘められた歴史の光と影
昭和から平成にかけて、お茶の間を熱狂させたテレビ時代劇。その制作を牽引したのが、京都に撮影所を構える東映株式会社と松竹株式会社の二大巨頭だった。彼らが作り上げたフォーマットの中で、越中屋の名は不動のポジションを確立する。
東映が放った『暴れん坊将軍』では、徳川吉宗が町火消しの居候「徳田新之助」として市井に潜入し、悪代官と結託した商人を成敗する勧善懲悪の極致が描かれた。一方、松竹の『必殺仕事人』シリーズでは、法で裁けぬ悪として、より生々しく陰湿な裏工作を企む豪商の姿がダークな映像美で切り取られた。
なぜ脚本家たちはこぞって「越中屋」や「越後屋」の名を使ったのか。当時の制作関係者は、語感の良さに加え、実在する特定の巨大財閥からの直接的なクレームを避けつつ、地方から江戸に進出して成り上がった「得体の知れない新興勢力」のニュアンスを醸し出すのに最適だったと証言する。フィクションが生んだ記号は、あまりの完成度の高さゆえに、いつしか歴史的事実を覆い隠してしまった。