戦国屈指の美女「だし」の壮絶な最期|荒木村重の逃亡と信長の粛清
六条河原の刑場へ引き立てられた際、妻子たちの先頭に立ったのが妻・だしでした。処刑当日、彼女は白無垢のような清らかな装束に身を包み、取り乱す家臣の妻たちを励ましながら、取り囲む群衆が息をのむほど凛とした態度で牛車から降り立ったと記録されています。
享年24歳前後とも伝えられる若さでありながら、死を前にしただしの態度は誇り高く、自ら首を差し出すその従容たる姿は、立ち会った織田方の武将や京都の町衆の涙を誘いました。
彼女がこの世の最後に詠み残した辞世の句は、深い信仰心と気高さを象徴しています。
「みがくべき 心の月の くもらねば ひかりとともに 西へこそ行け」
(我が心の月は一点の曇りもなく澄み渡っている。迷うことなく、阿弥陀仏の光に導かれて極楽浄土へと旅立とう)
夫の裏切りや信長の残酷な処断を一切呪うことなく、自らの心の清廉潔白を貫き通したこの歌は、戦国女性の強さと美学を今に伝える名句として語り継がれています。