武田鉄矢の母・イクさんの壮絶生涯と名言!名曲に秘めた愛と死因の真相
1972年、フォークグループ「海援隊」としてデビューした武田鉄矢さんでしたが、鳴かず飛ばずの時期が続き、所持金も底をついて東京での生活に行き詰まります。失意のなか、夜行列車に揺られて逃げるように福岡の実家へ戻った鉄矢さんを待ち受けていたのは、母イクさんの容赦ない一言でした。
優しい言葉を期待していた息子に対し、イクさんは「働け、働け! 働いて働いて、働きぬいて死ね!」と烈火のごとく怒鳴りつけました。「男が一度東京へ出たなら、死ぬ気でやってこい。生きて帰ってくるな」という、情けを一切かけない本気の親心でした。
同時に、冷えたご飯と味噌汁を黙って差し出し、息子の覚悟を試すように見つめたイクさん。このときの母の凄まじい迫力と底知れぬ愛情を、鉄矢さんはそのままセリフとして書き起こしました。こうして1973年にリリースされた『母に捧げるバラード』は、翌年にかけてミリオンセラーを記録。第16回日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、海援隊は念願のNHK紅白歌合戦初出場を果たしました。母親の本気の一喝が、息子の運命を劇的に好転させたのです。